最近プライベートの方が忙しく中々投稿できませんでしたがこの日だけは必ず自分の想いを綴りたいと思いました。
今日は能登半島地震から1年が経つ日です。
日本全国ではお正月の最中でお祝いの日でした。新年に想いを馳せて、親戚や友達と集まって幸せな日を過ごしていた人が多いと思います。
私自身も会社の同期に家に集まって新年会をしていたところでした。
ただ2024年1月1日16時10分に石川県の能登半島沖を震源とした震度7の地震が発生しました。
愛知県でも大きく揺れて、パニックになる同期に揺れが治まったタイミングでブレーカーを落として、家の外に避難させました。一旦町の様子を伺い、愛知県に津波注意報などが出ていないことと震源地が石川県ということ確認して家の中に戻り、テレビによる中継を見ました。
避難している町の方々、ヘリコプターの上から撮影される崩れていく建物、そして徐々に防波堤を越えてくる「津波」を見ました。
テレビの画面越しに津波をリアルタイムで見ることは初めての経験でした。走っている町の人達が助かって欲しいと願うしかできませんでした。
そして火事が起きている映像を見た時にここで東日本大震災の時を思い出して吐き気がしてしまいました。
嫌なことばかり想像してしまいました。
「町が無くなっていく」
「今この時間に誰かの大切な人が命を失っていく」
「家族が生きているかとてつもなく不安になる気持ちを抱えている人が多くいる」
語り部をしている以上、最後まで見届けなければ思っていましたが途中で見るのを辞めました。当日は私も不安でした。
そして後悔もありました。
「まだ北信越方面で語り部をしていないのに先に災害が起きてしまった」
自分がもっと早い段階で活動をしていればと後悔をしてしまいました。
すぐに支援に行きたかったですが道路状況が読めず、家族にも心配をかけさせてしまうと不安になってしまい、結局ボランティアに行けたのは2024年5月11日でした。
私は会社の仲のいい同期と2人で行きました。彼も「被災地の為に動きたいと思っていた。今こそ行きたい」と強い想いを持って2人で愛知県から車で金沢駅まで3時間。金沢駅から珠洲市までボランティアバスで3時間。往復で12時間掛けてのボランティアとなりました。
地震の被害に遭って、家の中が脆くなってしまって住めないと判断された家の納屋の片付けでした。基本的には家具や倉庫の中の片付けです。住人は老夫婦のお二人だった為、重量物を運ぶために人手が必要だったみたいです。
男性10人弱のチームでとにかく納屋の中にある家具や農業工具などを外に出して、廃棄するものを軽トラックに載せて、廃棄場まで運搬することの繰り返しでした。5月だったのにかなり快晴で暑かったことを覚えています。
何度もボランティアに参加している方から教わって、みんなでコミュニケーションを多くとって作業を進められました。私の語り部活動についてもお話しして応援もしてもらえました。
夕方くらいに住んでいたお母さんとお話ししながら作業をしました。
「地震は大きく揺れて怖かった。生きれたことが不思議だけどこれからどうしようかって感じでなんだか疲れてきた」と聞いて
「自分も13歳で東日本大震災を経験して全く同じ思いだった。家も津波で流されて、大切な人も失って、学校も無くなってどうしたらいいか分からなかった。それでもここまで生きてきた。ここで折れたら自然災害に負けましたって言ってるようなもんだし、亡くなった人に申し訳なかった。一生懸命生きることが亡くなった人に対して生きている自分達が出来る事だと思いますよ。」
とお話ししてお母さんが少し吹っ切れたような顔をしてくれました。
「そんな経験をした人が石川の端まで来てくれて、ボランティアしてくれたことが嬉しい。会えて良かった」
と言って貰えた時に、来てよかったと心から思えました。
まだまだ能登半島に対して私達が支援してあげることは多くあります。復興はゴールが無いと思っています。絶対に震災前の町の姿に戻ることは無いからです。だったら前よりももっといい町にしようと前向きな姿勢で頑張って欲しいです。
釜石はラグビーワールドカップを行える街にしました。多分、震災前の町だったら出来なかったです。能登半島も昔だったら出来なかったけど今だからこそ出来るような能登の姿を実現して欲しいです。
私が能登半島地震で被害に遭ったの皆さんに伝えたいことは「負けないで」という事です。自然災害には正直勝てません。必ず建物や土地に被害を与えます。ただ、「負ける事」は回避できると思っています。負けなければいいんです。ここで負けたら亡くなった人達が「生きたかった明日」を私達は棒に振ってしまいます。人間は一人じゃないです。必ず誰かに応援されて、支えられています。少なくとも私は皆さんのことを応援しています。
同じ被災者として災害に立ち向かって生きてやりましょう。
生き延びたことは奇跡です。だったら最後まで一生懸命生きてやりましょう。
これからの能登半島を応援しています。